令和3年の春、いちろうくん(仮)が完全不登校になって半年以上経った頃です。ある日家のポストに市議会議員の活動レポートが入ってました。それはディスレクシアについて書かれていました。小平市にディスレクシアについて調べ、そういう子どもたちのために活動している議員さんがいるんだ!と初めて知りました。その議員さんこそ、その後もお世話になる安竹洋平議員でした。
その時は、安竹議員に何を話せばいいのか、何をしてもらいたいのか、自分の中でまだどうしていいのかわからず連絡はしなかったのですが、いつか安竹議員にメールする時が来るかも知れないと思い、その活動レポートをずっと持っていました。
いちろうくんが2年生になり担任の先生が変わると、担任の先生から支援学級に行くようしつこく言われ始めました。
「いちろうくんずっと勉強してないですよね、書写も苦手ですよね、できないですよね、WISCを取ったのも随分前だから今取り直せばIQも下がってるから支援級に入れると思います」と。
「私たち家族は支援学級を希望していません」と伝えてもなお「病院に連絡してもいいですか」「教育相談室に連絡してもいいですか」と言われ、「どうぞ連絡して下さい。同じことを全部話していますから」と、怒りを感じながらも淡々と返答していました。ですが、私はいちろうくんが不登校になってから半年以上続く学校対応にもう疲れ果てていましたし、怒りも頂点に達していました。
令和3年7月、とうとう湧き上がる怒りから安竹議員にメールを送りました。
陳情として。
いちろうくんが不登校になってから学校に言われたこと、教育相談室に言われたことなど、一連の出来事を「こんなことが実際に起こっているんだ!!」ということをただ知って欲しいという思いでした。
数日後、なんと安竹議員から返信がきました。「お話を聞かせて下さい」と。
その時は、ただ、ただ嬉しかったです。後日、安竹議員とお会いして私の話をきいてもらうことになったのですが、陳情とは言っても、ただ文句ばかり言っていたに過ぎず、文句しか言っていない自分も嫌で、文句を言うのを止めて行動しようと思いました。
それで、陳情ではなく請願書を書こうと。
情緒固定級があれば、いちろうくんの面倒を見る気のない学校なんてさっさと出ていってあげますと。そんな思いで、まずは協力者を集めました。
情緒固定級を希望されている方はいませんかと。
今、請願書を書いて望みが叶ったとしても自分たちの子どもが小学生のうちには情緒固定級は出来ないかも知れません。それでも、一緒に安竹議員に会ってお話しして下さる方がいましたらご連絡下さい、と。
もしかしたら、誰からも連絡が来ないかも知れない…。
そしたら1人でもやろうと決めていましたが、内心怖かったです。
数日待つと5人のお母さんたちから連絡がきました。
議員さんには、請願書を書くので内容が良ければ紹介議員になってもらえませんかとお願いをし、8月連絡をくれたうちの3名のお母さんと私と議員さんで直接あって、現状の悩みや情緒固定級の請願内容について話し合いました。
わずか6名での船出でした。
※これは当時の自分の思いです。その後、担任の先生は協力者となり、先生のおかげでいちろうくんは1年半の完全不登校から学校に数回行けるまでになりました。
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